あたし、遠野ひなせとお姉ちゃんのひなたは、一卵性双生児ってやつ。見た目は本当に同じで、名前までそっくりだからよく間違えられる。 あたしとお姉ちゃんの見分け方、それは性格だと思う。 お姉ちゃんは、はっきり言って何考えてるかわかんない、というか他人と関わりたがらない人だ。あたしとは正反対。友達とかいるにはいるんだけど、深く付き合ったりはしないで、一緒にお弁当食べるとか、適当に雑談するとか、その程度みたい。 でも、お姉ちゃん曰く、あたしは例外なんだって。 そんなお姉ちゃんが、誰かの家に泊まるなんて、前代未聞のできごとだ。 いつも生徒会の会議があっても最終バスで帰ってきて、一緒にご飯食べたり、一緒にお風呂入って学校の話なんかして。体型まで一緒なのが笑えてしまうくらいだ。 生まれて18年とちょっと、あたしとお姉ちゃんはずっとずっといつも一緒だった。両親はあたしたちが3歳ぐらいのときに事故で死んでしまった。 当時小学生のお兄ちゃんもいたらしいんだけど、あたしもひなたも、お兄ちゃんがどんな人だったか詳しくは覚えていない。名前さえも。お兄ちゃんは本当にできのいい人だったみたいで、すぐに引き取り手が出たらしい。でも、今は行方不明。 一方あたしたちは双子の姉妹。女の子一人でも手がかかるのに、双子だから負担は倍増。そんなあたしたちを引き取ろうとする親戚は当然少なくて、中学まで親戚中たらいまわしにされた。 で、今はあたしとお姉ちゃんで二人暮しをしている。 高校ではさすがにクラスは違うけれど、家に帰るといつも一緒。家事はお互い交代。お姉ちゃんの料理は絶品だし、日ごろクールで無口でなに考えてるかわかんないようなお姉ちゃんが、あたしの前でだけ饒舌になるのが嬉しかった。お姉ちゃん、っていうより友達みたいな感じ。 そんなお姉ちゃんが。信じらんなかった。 相手は生徒会の人だって言ってた。でも……あのときのお姉ちゃんの口調の不自然さが気になった。ちょっとドキドキしてるような、なんていうんだろう。あの声は、男の人の家に泊まりに行く声だ。あたしの友達にもそういう経験ある子がいるんだけど、声が完全にいつもと違ってた。どっか熱っぽくて。 夜11時を回った。いつもだったらお姉ちゃんから宿題を教えてもらってる時間。お姉ちゃんがいない部屋はがらんどう。 試しに、お姉ちゃんの携帯に電話を入れてみようと思った。8時少し前に電話があったきり、お姉ちゃんから連絡はない。 発信ボタンを押す。 「おかけになった電話は、電波の届かない場所にあるか…」 え? 番号は間違ってないはず。もう一回かけてみよう。 「おかけになった電話は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため…」 ――そうだ、急に泊まりが決まったから充電器持っていってなくて、それでたまたま電池切れちゃったんだよ。 ――でもお姉ちゃん携帯あんま使わないから、3日くらいは電池もつはずだよね。それにけさ充電してたし。 ――生徒会の人ってお姉ちゃん以外はみんな市内だから、圏外とかってありえないよね。 いろいろな仮説が浮かんでは消える。これじゃあネガティブスパイラルに陥ってしまう。 じゃあ、生徒会顧問の藤沢先生に電話をしてみようじゃないか。 先生ならお姉ちゃんと仲がいいから何か知ってると思うし。もちろんあたしたち姉妹は藤沢先生と仲良しなので有名だから、携帯番号なんて知らないわけがない、だって藤沢先生はあたしの担任なんだから。 また、間違わないようにメモリーを呼び出して、発信ボタンを押す。 「おかけになった電話は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため…」 先生のマンションなら携帯もつながるはず。まぁ、先生のことだ。どうせ充電し忘れたんだろうな。じゃあ家の電話にかけてみようか。 そう判断したあたしだけれど、そこにかけた期待は大きく裏切られた。 コール音10回でも、出ない。もう寝たのかな? それなら明日、お姉ちゃんが帰ってきたら聞いてみよう。 その夜は全然眠れなかった。妙に疑心暗鬼になってるあたしがいる。 ――お姉ちゃん、あたしを置いてどこに行ったの?「生徒会の人」だけじゃわかんないよ。ちゃんと言ってよ。 ――でも結局お姉ちゃんが何しようと勝手だよね。なんであたしこんなにイライラしてるんだか。それに先生のところに泊まってるとは限らないし。 次の日の夕方近くになって、お姉ちゃんは帰ってきた。生徒会の誰かのところにいたから当たり前だけど、特に変わった様子はない。 ただひとつ問題があるとするならば、藤沢先生がその場にいたこと。 「先生……なんでいるの?」 「いちゃいけないんですか?今日も生徒会の会議だったんです」 先生はいつものように冷静に対処しようとしていたが、その冷静さがどこか不自然に思える。例の疑心暗鬼はまだあたしの中に息づいてるみたいだった。 「ひなせ、あまり先生を責めないで。今日も会議で、バス逃して先生に送ってもらっただけだから」 「でも」 「大丈夫よ。私ちゃんと帰ってきたんだから」 お姉ちゃんに言われると、引き下がらずにはいられない。でも、なぜこの男が、先生がお姉ちゃんと一緒にいたんだ、そう考えるだけで腹が立つ。 ――先生に嫉妬?まさか。 腑に落ちないけど、腑に落とさなくてはいけない状況。あたしは先生とお姉ちゃんの言い分に納得しなければいけなかった。 「生徒会って、誰のトコ泊まったの?」 夕食を作っているお姉ちゃんの背中に問う。聞いてもあたしは生徒会のメンツを知らないから、無駄なことはわかってるけど。 「木下さん。7組の。どうしたの?」 「なんとなく」 「今日どうしたの、ほんとに、ひなせ」 「どうもしないよ」 どうもしないわけがない。なんか先生の顔思い出すだけで腹立つんだけど。 「機嫌悪くない?」 「だって先生嫌いだもん」 即答してやる。 「先生って、藤沢先生でしょ?どうして急に。だってひなせ先生とすごく仲よかったじゃない」 「それはそれ、これはこれ」 同じ声で交わされる会話が苦々しかった。 「担任なんだからあんまりいじめちゃだめだからね」 「そこまでしないけどさ。なんか嫌い」 吐き捨てた。それで残っていたモヤモヤがなんとなく消えたような気がした。 けどそのモヤモヤは、直後にまた復活することになる。 いつもなら大抵お姉ちゃんから「お風呂一緒はいろ」って言うのに、今日は言わない。 「お姉ちゃん、お風呂はいろ」 試しにあたしから言ってみた、けど、 「ごめん、私後で入るから、ひなせ先に入っておいでよ」 って言う。 月のものかと思ったけど、全然そんな様子はないし。お姉ちゃんの行動がなんだか不可解だった。 月曜日はもちろん学校に出なきゃいけない。 出席を取る先生は相変わらずの調子だ。どこかやる気がなさそうな、でもするべきことはしっかりする。 「津島さん…は欠席ですね。遠野さん」 「はい」 ここでいかにも不機嫌そうに返事をするのは気がひける。普通に返事をしよう。 そうしたら不思議といやな気分がすっとなくなった。気のせいかもしれないけれど。しいて言うなら、津島さんが休んだから日直があたしに回ってきたのが気に食わなかった。クラスの日誌書くのめんどくさいんだよね。 『日直 遠野ひなせ 欠席 水木幸也 津島和枝 早退 なし 遅刻 長谷川修平 授業の様子 1 数学 宿題をやっていない人が多かった …… その他気になったこと 特になし』 放課後。無難に日誌を書き終えて、先生に出しに行く。 今日は別段変わったこともなく平和に終わった。日誌だけ見ると。でもあたしの心は平和もへったくれもない。先生に聞かなくてはいけないことがある。 「3年3組の遠野ですが、藤沢先生は」 「あ、どうしました?」 先生はあたしの姿を見るなりこっちに近づいてきた。 「日誌、書き終わりました」 「ご苦労様です。変わったことはなかったですか?」 「なかったけど、ちょっと聞きたいことが」 あたしはいつもの口調に戻る。教師に向かってタメ語とはどんな神経してるんだ、と言われそうだけど、藤沢先生に向かってはそれがデフォルトなのだ。 「構いませんよ。どうしました?」 「お姉ちゃんのこと」 お姉ちゃん、この単語を出したときの先生の表情をあたしは見落とさなかった。凍りついた表情。 「……まさか、ここで話せないようなこと?」 「ちょっと待ってください」 冷静さを取り戻した先生が、職員室のドアを開けた。 「もしかして、まだ疑ってるんですか?」 「当然。あの状況で先生がいるのはおかしいよ」 先生が反論できなくなるカードを必死に探しながら、あたしは先生を問い詰める。 「ですから、偶然というものはあるでしょう。お姉さんがどこに泊まったのか僕は聞いていませんけど、ちゃんと次の日生徒会の会議に来ましたし、あの時もお姉さんがバスに間に合わない状況になったから僕が送ってきたまでです。第一、休日にバスを逃すと大変なのは遠野さんも知っているでしょう」 ――お姉さんがどこに泊まったのか僕は聞いていませんけど。 この一言で、あたしの用意したカードは全て使えなくなった。やっぱりどうしても、先生には口では勝てない。 「あのお姉ちゃんが2日連続でバス逃すなんて思えない」 「最近生徒会はそういう状況なんですよ。わかってあげてください」 言いながら先生は生徒会室に消えた。口調が冷淡だった。 「先生なんで早く来てくれなかったんですか!これじゃ話が進まないじゃないですか!」 ドアの向こうから怒号が飛ぶ。本当にそういう状況なんだ、と、思わざるを得なかった。 「生徒会、大変なんだね」 「うん。例のスカート丈の生徒会案がまとまらなくて」 最終バスで帰ってきたお姉ちゃんはそう答えて、制服のままでご飯を食べ始めた。 うちの高校の制服は、オフホワイトの身頃に紺の襟(エンジ色の線が2本入って、後ろのほうで交差しているちょっと凝ったデザインだ)、エンジ色のリボンを襟のところで結ぶ、という感じのセーラー服だ。 どことなくコスプレアイテムのようなデザインが災いしてか、スカート丈のことでは毎年議論が繰り返されている。今年それに決着をつけようというので生徒会は大変だ、とお姉ちゃんは言う。 「別にそこまでしなくても、誰もスカートの規定守ってないのに……って、私は思うんだけど、周りがすごく熱くなっちゃってて」 どこか冷めたお姉ちゃんらしい発言ではあった。 「そういえば最近お姉ちゃん髪下ろしてるよね。暑いのになんで?」 「双子の区別の仕方のひとつ。そうでもしないと私たち間違えられるでしょ?」 お姉ちゃんの言うとおり、あたしたちは「客観的に見ると」瓜二つだった。性格は別物になってしまったけれど。 でも、お姉ちゃんの持つ品のよさとか、黒髪の艶とか。そういう綺麗なものが、あたしにはない。 お姉ちゃんはあたしと同じで違う。 あたしから見ると、お姉ちゃんはあまりにも綺麗過ぎて壊れそうで、でもすごく芯が強い理想の女性だ。いつだって、昔から、そうだった。 「そだね」 気のない返事になってしまう。お姉ちゃんは、わかってない。あなたがどんなに綺麗な人か、わかってないよ。 ――何考えてるんだか。 自分の行動が言動が思考回路が読めない、ここ2,3日。 やっぱりお姉ちゃん外泊事件(勝手に命名)であたしは動揺しているんだろうか。 でもなんでここまで動揺しなきゃいけないんだろうか。お姉ちゃんはお姉ちゃん、あたしはあたし、なはずなのに。 姿かたちは似ていても、あたしたちは別個の人間。 そんなの、寂しすぎるよ。お姉ちゃん。 けれど、そんなあたしの気持ちは置いてけぼりを食らったまま日々が過ぎていく。なんだかあの外泊以来、お姉ちゃんの行動がだんだん怪しくなってきた気がするんだ。生徒会の集まりがなくても帰りが遅くなったり。そして、あたしと一緒にお風呂に入ることをかたくなに拒むようになっていた。 どうしてここまでお姉ちゃんに執着するのかも不思議だ。けれど、お姉ちゃんが急に私から離れていくのが悲しかった。 どうしてここまでお姉ちゃんを独り占めしたがるのか考えてみたこともある。 ――もしかしたら、あたしは今まで一緒にいたお姉ちゃんを誰かに取られるのが怖いのかもしれない。 友達はいるけど、結局あたしはお姉ちゃんなしじゃ何もできない。周りには明るい、悩みなんかなさそう、そう思われているけれど。本当のあたしは弱いんだ。弱さを取り繕うために、明るい振りをしているだけなんだ。明るい振りをすることが身体に染み付いてしまっているんだ。 何よりもわからないのが、その「お姉ちゃんをあたしから取ろうとしてる誰か」だ。わかればわかったでもっとつらくなるだろうことは目に見えているけれど、わからないのはそれ以上につらい。 だからあたしは、試しにこんなことをしてみた。 『今日生徒会の会議があるから、帰り遅れるね』 お姉ちゃんからのメール。この前の生徒総会でスカート丈は膝関節上端と決まったし、生徒会での反省会も終わったから、生徒会の集まりというのは考えられない。 試しに生徒会室のドアをノックしてみる。会議がなくても誰かが常にいるってお姉ちゃんが言ってた。事実ドアの向こうからは、新しく出たお菓子の話が聞こえていたから、これは会議をやっている雰囲気じゃないと思った。 「あれ、ひなた、今日会議ないよー」 ドアを開けるなり、これ。確かにあたしらそっくりだけどまさかここまでとは。 「いえ、ひなたの妹です」 「あーごめん、ひなせちゃんだったか。ひなた今日来てないよー」 部屋にいた3人のうちの一人がそう答えてくれた。 「あの、じゃあ藤沢先生は」 「先生は部活かなんかに行ったよ」 「わかりました、ありがとうございます」 確信した。先生のしわざだと。 だってあたしには藤沢先生が顧問を務める科学部に所属している友達がいる。その友達は今日は部活が休みの日だから、今頃彼氏とデートしてるはずだ。 次に職員室に行ってみた。 「3年3組の遠野ですが、藤沢先生は」 「あれ、藤沢先生確か帰ったよ?」 ……本当に、帰った? それから先生のいそうな場所に向かう。先生はよく物理準備室で授業の反省点をチェックしたり、ちょっとくつろいだりなんかしてる。もしかしたら帰り際に寄って、何かしてるのかもしれない。 物理準備室、そして物理室には、放課後はほとんど誰も寄り付かない。 「…………」 「…………」 中から話し声が、本当にかすかに聞こえる。誰も来ない場所なのをいいことに、あたしはドアに耳をべったりつけてみた。 「っは、は、……ぁう」 「声出すと、まずいぞ?」 絶句。この声、どこからどう聞いても藤沢先生だ。 そりゃ先生にそういう相手いてもおかしくないけど、相手が生徒であれ他の先生であれ、普通に考えてこんなところでする? 試しにお姉ちゃんに電話してみる。 すると、ドアの向こうからいいタイミングで携帯の着信音。 あ、まさか……。 「せんせっ、けーたい、なって」 「ほっとけ」 「でもこれ、ぁ、ひなせ……」 ――何? いまの、なに?ひなせって?けいたいなってる?せんせいと、してる?おねえちゃんが? 思考が全て平仮名になってだんだんブレーキがかかっていく。 あたしが携帯の通話終了ボタンを押すと同時に、物理準備室から聞こえた着信音は止まった。 恐れていた想像が、何よりも認めたくない想像が現実になった瞬間だった。 最近のお姉ちゃんの帰りが遅い理由。 最近暑いのに、お姉ちゃんが長い髪を下ろしてる理由。 それは全て、「これ」のためなのだ。 やめて、先生。 そんな汚い方法でもってあたしのお姉ちゃんをとらないで。 あたしにできない方法でもってお姉ちゃんを虜にしないで。 あ た し か ら お 姉 ち ゃ ん を 奪 わ な い で もう一つの、恐れていた想像。触れようとしたけれどあたしの全てでもってそれを拒否した事実。 血を分けた姉妹。双子。でも別個の人間。 別個でなんていたくない。お姉ちゃんとあたしは一つでなくちゃいけない。 お父さん、お母さん、ごめんなさい。あたしは、お姉ちゃんが、好きです。 泣き叫びそうになるあたしを抑え込む。 足音も立てず、でも涙は流しながら、あたしはそこをあとにした。 もう聞いてられないよ、お姉ちゃん。なんであたしに黙ってそんなことするの? 違う、違う、恋じゃない。違う、好きなんだ、お姉ちゃんが。 そればかりが頭をぐるぐる回ってたけど、表向きはどうにか冷静でいられたのがせめてもの幸いなのかもしれない。 「お姉ちゃん、彼氏できたの?」 お姉ちゃんが帰ってきてから、あたしは軽く、いつもの調子で聞いてみた。あんなことがあったあとなのに、いつもどおりにできる自分が怖くもあった。 「え、どうしたの?」 「だってお姉ちゃん最近挙動不審だもん。ねぇどーなの?あたしにくらい言ってくれたっていいじゃない」 「そうだね」 お姉ちゃんが頬を赤らめて頷く。それはすなわち。 「うん、彼氏できた」 「いいなーあたしそういう相手いないもん」 いない。いないのだ。お姉ちゃんじゃなきゃ。男の人じゃだめなんだ。 「そうかなぁ。ひなせのほうが早く彼氏できると思ってたけど」 「ありえないから!で、さ。お姉ちゃん。それ、誰?」 意地悪く聞いてやる。多分今のお姉ちゃんなら素直に吐くだろう。 「ひなせ、怒らないでね。誰にも言わないでね。 あの……私ね、藤沢先生とつきあってる」 それで、お姉ちゃんの行動の不自然さの全てに説明がついた。 ←back next→ |